そして下僕は途方に暮れる

感じるな、考えろ。

気は優しくて力持ち

第2次ベビーブーム世代の僕にとって、子供の頃の遊びといえば野球だ。
新興住宅街の中心にある広場には、いつもどこからともなく子供が集まってきて、大体三角ベースの野球をしていた。
柔らかいボールやプラスチック製のバットだったとはいえ、やたら禁止・規制の多い現代からすると想像しにくい光景だろう。
世の中全体が、おおらかで活気のあった昭和50年代後期だ。

ドカベン単行本

ドカベンといえばやはりこの4人

巨人の星ではなく「ドカベン

僕が物心ついた頃、すでに野球漫画といえば「巨人の星」が府道の地位を築いており、その影響かまわりには巨人ファンが圧倒的に多かった気がする。Gのワッペンがついた黒い帽子が主流で、Tの黄色帽子やCの赤帽などは一周さかのぼって入手困難だったくらいだ。
しかし僕にとって野球漫画といえば「ドカベン」だ。
平日の夕方にアニメの再放送枠があったのだが、その時放送されていたのがドカベンだった。
小さい頃から現実主義者だった僕は、巨人の星に登場する現実味のない”必殺技”には興味をそそられず、がんばればできそうな”秘打”の方が現実味があると思っていた。
大リーグボール1号よりも坂田三吉の通天閣打法である。
ちなみに高校野球の地方予選で、殿馬の「秘打白鳥の湖」みたいな打法をした選手がいて、当時ネット上で話題になった。

「ドカベン」“白鳥の湖”打法はルールで認められているの?|野球|日刊ゲンダイDIGITAL

この選手は試合後に高野連から注意されたらしい。

ホークスの恩人

そのドカベンの作者である水島新司さんが亡くなった。
作中に実際のプロ野球選手が登場することもあり、球界からも追悼のコメントが多く寄せられているようだ。
その中の一人、ソフトバンク球団会長の王貞治さんが「ホークスの恩人」みたいなことをおっしゃっていた。

「水島さんは南海・ダイエーとホークスが弱い時に支えていただいたホークスの恩人です。私がホークスに来た時も、キャンプやグラウンドで熱心に応援していただきました。ホークスとは縁の深い人だったので、大変残念です」(朝日新聞デジタル

弱小球団だった南海ホークスが、ダイエー・福岡移転を経て現在の常勝軍団ソフトバンクホークスへと成長する過程で、水島さんの功績は小さくないだろう。
個人的には浪商から南海ホークスに入団した”ドカベン香川”こと香川伸行選手の登場が印象に残っている。

日本の野球文化をかたち付けた

水島さんの功績は、野球という文化を日本に根付かせ裾野を広げたことだと思う。
ドカベンで高校球児を目指す野球少年の裾野を広げ、野球狂の詩で女子選手(ソフトボール含む)の普及に寄与し、あぶさんでは地味で人気に劣る(個人の感想)パリーグにスポットをあてた。
もし水島さんの漫画がなかったら、今でも日本のプロ野球は巨人一強だったかもしれないし、カープ女子やオリ姫など地方球団の盛り上がりもなかっただろう。

今の小学生に好きな野球漫画を訊いたら「メジャー」とかになるのだろうか。もう少し上の世代なら「ルーキーズ」、僕と同じ世代でも「タッチ」派やあるいは「がんばれタブチくん」(ないか)の人もいるかもしれない。
しかしタッチを読んで甲子園を目指したという人は少数派だろう。

多くの”野球少年”のバイブルであろうドカベンを生み出した水島先生に、心から哀悼の意を表したい。