そして下僕は途方に暮れる

感じるな、考えろ。

中国のタクシードライバー

上海のタクシー

若い頃仕事の関係で中国(中華人民共和国)に行っていた。1年に2、3回の頻度だったろうか。最初のうちは同じ会社の何人かで行っていたが、そのうち経費削減のあおりをくらい、なぜか当時一番若手だった僕がソロで出張するようになっていた。

中国では漢字で筆談

僕は中国語はもちろん英語も話せない。取引先の会社まで行けば通訳や日本語を話せるスタッフがいたので問題ないが、それ以外の時間は自分でなんとかしなければならない。なので中国出張の際はちっさいメモ帳とペンを常に携帯していた。いざというときに筆談でコミュニケーションを取るためだ。実際たいていのことは漢字を書けば通じた。

その日現地の空港に到着した僕は、客待ちしているタクシーの運転手にホテルの住所と名前を書いたメモを見せながら「OK?」と確認を取ってタクシーに乗り込んだ。40分くらいの距離だったが、中国のタクシー料金は日本と比べると格安なのでよく利用していた。ホテルに到着し予約している旨を伝えチェックインを済ませ、部屋でくつろごうとした時、ちょっとした違和感に気がつく。「ん?メモ帳に書いたホテルの名前と違う」そう、僕が予約したホテルとは全く違うホテルにチェックインしてしまったのだ。どおりでチェックインするときに、フロントのお姉さんが少し怪訝な表情をしていた。
おそらく
「この日本人、予約してるって言ってるけど予約データがないわね」
「まぁ言葉通じないし面倒だし部屋空いてるからそのまま泊めちゃいましょうよ」
「そうね。そうしましょう、アハハ」
こんな感じだろうか。

タクシードライバーの「OK!」は真に受けてはならない

僕の経験だが、中国のタクシードライバーを信用してはいけない。彼らは「行けない・知らない」と言うことを知らない。常に自信満々の笑顔で「OK!」と返してくるだけだ。そのおかげで、高速道路上から流れる景色の中に、目的地を見つけるという苦い経験が何度かある。
今回のドライバーも
「まぁだいたいの住所は合ってるし、ホテルの名前も似てるし、ぎりOKっしょ」
と思ったのだろう。完全にアウトだ。中国のタクシードライバーのOKを真に受けてはならない。

レイバン

間違って泊まったホテルでの続き。翌朝取引先に向かうために、フロントのお姉さんにタクシーを手配してもらうことにした。

僕「タクシー プリーズ OK?」
お姉さん「ユーゴートゥー・・?」
僕「(住所と社名を書いた紙を見せて)ディス!」

これでだいたいは通じる。日本語以外話せない人はぜひ試してほしい。

フロントのお姉さんを経由したのは、安全性を担保したかったからだ。宿泊している外国人がトラブルに巻き込まれるのは面倒だろうし、僕が中国語も英語も話せないことは昨夜からのやりとりで知っている。確実に行き先がわかるドライバーを選んでくれると予想したのだ。しばらくしてお姉さんと一緒にタクシーの運転手らしき人が僕を呼びに来た。色黒で痩せた小柄な男性だが、偽物のレイバン(たぶん)をかけているので年齢はよくわからない。便宜上このドライバーのことを”レイバン”と呼ぶことにする。レイバンは他のドライバーがそうであったように「OK!OK!」と何度も笑顔で繰り返した。さすが選ばれし精鋭だ、表情に迷いがない。これなら目的地まであっといあっとゆう間に着くだろう。

角を曲がるごとに聞き込みを始める

車が動き始めて5分もすると、我々は目的地を見失っていた。レイバンは角を曲がるごとに聞き込みを始めた。しかし有力な情報は得られなかった。

(まずいぞ。こんな奴に身を委ねるなんて)そう思った僕はテレフォンを使った。日本語が通じる取引先に電話をして、レイバンと直接話をしてもらおうと考えたのだ。運よく電話はつながった。僕はレイバンに電話を向けながら「テレフォン、ほらっほらっ」と訴えた。レイバンは電話を受け取ると「你好!○△□〜」とひとしきり話すと僕に電話を返し「OK!」と笑顔を見せた。この笑顔もニセクラだった。

心が通じる瞬間

それからもレイバンは聞き込みを続けた。しかし目的地に近づいている感触は薄い。この瞬間不意に「これ以上コイツに頼っても無理だ」が頭に浮かんだ。同時にレイバンも「コイツからは何の情報も引き出せない」と踏んだに違いない。お互い目があった。それから僕たちは協力体制に入った。お互いに依存するのではなく、お互いのためにそれぞれができることを考えた。言葉は通じないが『心が通じた』瞬間だった。幸い取引先を知っているという通行人に巡り合い、無事到着することができた。タクシーを降りるときに僕は「謝謝!」と右手を差し出した。レイバンも握り返し「OK!」と笑った。このOKは本物だと信じたい。

言葉が通じないのも悪くない

10年以上前の話なので、今だったらスマホの地図を使えば迷うことはないだろう。通訳でさえスマホがやってくれる。便利な世の中になったものだ。しかし経験上、言葉が通じないほど心が通じることがある。言葉が通じない相手と最初に取れるコミュニケーションは「自分が話すことを相手は理解できない」と認識することだ。その瞬間から行動が変わる。

外国語を学ぶことは大切なことだ。だからこそ日本語しか話せない間に海外を経験してほしいと思う。言葉が通じないのも悪くない。