そして下僕は途方に暮れる

感じるな、考えろ。

梅の花と梅ヶ枝もち

ほころび始めた梅の花

我が家の裏庭には梅の木がある。実家の駐車場を増設するときに邪魔になり、ウチにやって来た木で、僕が子供の頃には既にあった気がするので、かれこれ40年くらいは経っている古株だ。

今年もその古株から梅の花がほころび始めた。まだ1分咲きにも満たないくらいだが、あちこちで出番を待っている蕾の膨らみを見ると、あと2週間もすればパッと白い花でいっぱいになるだろう。桜のような華やかさはないが、自宅から眺める満開の梅を見るのを毎年楽しみにしている。

梅といえば、太宰府天満宮を思い出す。太宰府天満宮は「学問の神様」であると同時に、日本有数の梅の名所だ。菅原道真公を慕って、京都から太宰府に一晩で飛んできたという御神木『飛梅』もある。

しかし僕にとって太宰府天満宮の梅といえば「梅ヶ枝もち」だ。梅が枝もちとは、太宰府天満宮の参道で売られている、あんこの入った餅を焼いたものだ。もちといっても正月に食べるようなみょーんと伸びる餅ではなく、米粉を水で溶いた生地がベースなので、あんこの入った団子を焼いているイメージだ。

梅ヶ枝もちを焼いているところ

天神サイトより

僕が学生時代に半年ほど梅ヶ枝もちを焼くバイトをしていたことがある。太宰府天満宮に行ったことがある人ならわかると思うが、参道の両脇には多数のお土産物屋があり、その店先では梅ヶ枝もちをオープンキッチン?で焼いていて、タイミングが良ければ焼き立てを食べることができる。
焼いている人は専門の焼き器を使って、ガッチャンガッチャンと焼き具合を確認しながら忙しなく餅を焼いている。流れるような動作で、熟練の職人芸のように見えるが、僕がバイトしていた頃は同じようにバイトの焼き職人は周りに結構いた。

最初はコツが掴めずよく失敗していたものだが、1ヶ月もすると随分と焼く姿も堂々としたものになっていた。うまく皮がパリッとして焼き色がうっすらつくくらいの出来上がりが僕にとっての最高ランクだった。
そんな上物ができた時は、バイトながら誇らしい気分になったものだ。それ以来僕は梅ヶ枝もちの味だけではなくビジュアルにも強いこだわりを持っている。

先日ふと思い出したように梅ヶ枝もちが食べたくなり、家で作ってみた。といっても材料は家にあるもの(上新粉つぶあん)を使い、焼き器などないのでフライパンで表裏を焼いただけだ。遠い昔の記憶をたぐり寄せ、パクりとひと口。(うん こんな感じ。だったっけ?・・)近くなく遠くもなくの出来だったが、平成初期の若かりし記憶が思い出された。

ちなみに家族からは不評だった。何歳になっても修行の日々だ。

花の72年組

葛西紀明の優勝記事

2022年1月31日付朝刊より

今女性アイドルといえば、〇〇〇48や△△坂など大所帯のグループが中心だ。しかし僕が子供だった頃の女性アイドルといえばソロが当たり前だった。その中でも中森明菜小泉今日子など、のちに「花の82年組」と呼ばれるスター達が連日のようにテレビの歌番組で輝きを放っていた。

今朝の新聞のスポーツ欄に、『ジャンプ雪印杯49歳葛西V』という小さな見出しを見つけた。いうまでもなく、葛西とはスキージャンプ界の”レジェンド葛西紀明”のことだ。冬季五輪史上最多となる8大会出場のほか、41歳でのメダル獲得など、輝かしい実績を誇る日本の至宝だ。そして僕と同じ1972年生まれでもある。

同じ歳の人がテレビに出るようになる

テレビを見ていて出演者の年齢がでた時に「あ この人同じ歳なんだ」と思ったことはないだろうか。僕が最初にそう感じたのは、西田ひかるがでてきた時である。それまでテレビに出る人というのは自分より年上なのが当たり前という感覚だった。しかし西田ひかるの登場で「ああるいに同じ

歳の人がテレビに出るようになったんだ」と不思議な感覚に陥ったことを覚えている。それからSMAPがテレビに出るようになると、中居くんとキムタクの2人が自分と同じ歳だということもあり「あいつらも頑張ってんなぁ」と訳もなく高い位置から応援していたものだ。

1972年生まれの有名人

以降自分と同じ歳の有名人はなぜか心

に留めるようになった。1972年生まれの有名人をざっとあげても、
堀江貴文ホリエモン
貴乃花光司(元大相撲力士/第65代横綱
高岡早紀(女優)
Ryo(ケツメイシ
マツコ・デラックス(タレント)
児嶋一哉アンジャッシュ
渡部健(アンジャッシュのあの人)
宮川大輔(わっしょいの人)
梅宮アンナ(辰夫さんの娘)
稲葉篤紀侍ジャパン監督)
谷原章介(王様のブランチ)


日村勇紀バナナマンのおかっぱ)
高橋尚子(Qちゃん)

なかなかのメンバーだ。しかもキャメロン・ディアスぺ・ヨンジュンなど海外にも72年生まれの有名人は多数いる。

花の72年組

ではなぜ72年生まれの有名人がこんなにいるのか。いや、他の年生まれでも有名人はたくさんいるという事は重々承知の上で推測をしてみると、出生人数の多さがあげられる。1971年〜74年にかけて、第2次ベビーブームといって生まれた人数が多い時期があった。ピークの73年は約209万人が生まれている。

2020年に生まれた人の数が約84万人なので、どれだけ多かったか想像できるだろう。現在とは教育や情報環境が大きく異なるので単純に比較することはできないが、ある種強烈な競争の中から一掴みの栄冠を勝ち取った「花の72年組」と言えるのではないだろうか。

僕は田舎町に暮らす平凡な一般人だが、同じく72年に生まれた一人として誇りに思いたい。

朝ドラ「カムカムエヴリバディ」に想うこと

カムカムエヴリバディの公式画像

NHK公式サイトより

ひよっこ」以来の朝ドラファンである。
1話15分とちょうど良い尺。それでいて6か月という期間で山あり谷ありのストーリーを毎回楽しませてもらっている。ベタな展開とわかっていても、1話でも見のがすと”置いていかれる感”が強いので、そのためだけにNHKプラス(見逃し配信アプリ)をインストールしたほどだ。

カムカムエヴリバディのあらすじ

今期の朝ドラはカムカムエヴリバディだ。
簡単にあらすじを説明すると、昭和・平成・令和と3つの時代を歩んできた祖母・母・娘の3世代を描く100年のファミリーストーリー。 第1代ヒロイン(安子)が上白石萌音、第2代ヒロイン(るい)を深津絵里、第3代ヒロインは川栄李が演じる。1代目の安子は岡山の和菓子屋の娘という設定だったが、2代目のるいは18歳まで岡山で育った後大阪に出てきて、結婚後京都に移り住み夫(オダギリジョー)と一緒に回転焼き屋を営んでいる。(この記事を書いている段階ではここまで)

1代目のヒロイン上白石萌音といえば、先日の高校サッカー選手権の応援ソング「懐かしい未来」を国立競技場でライブ披露し、個人的には久しぶりに心が震えた。

seto-wonton.hatenablog.com

とてもいい歌なので、高校サッカー選手権のオフィシャルソングにして欲しいくらいだ。ぜひ多くの人に聴いてほしいと思う。

ヒロイン3人は損した気分

前述の通り、カムカムエヴリバディには3人のヒロインが登場する。気になるのは、このことを演じる方々がどう感じていらっしゃるかということだ。朝ドラヒロインといえば非常に名誉なこと(のはず)。最近でいえば清原果耶、杉咲花、少し古いところでは石原さとみ松嶋菜々子なども朝ドラヒロイン出身だ。放送終了後の活躍度合いは波があるが、NHK系の番組にはよく出ていて、一生食いっぱぐれがないイメージ(個人の感想)だ。カムカムは祖母・娘・孫という3世代ものなので同時に3人が出てくることはないが、何となくバリューが1/3になった感じがするのは僕だけだろうか。

有村架純なら「朝ドラ『ひよっこ』のヒロインの有村架純」だが、深津絵里の場合は「朝ドラ『カムカムエヴリバディ』のヒロインのひとり深津絵里」ということになりはしないだろうか。また「あまちゃん」といえば能年玲奈をイメージするだろうが、カムカムの場合は3人のうちの誰か、あるいは3人が思い浮かぶだろう。何だか損した気分だ。

余談だが

ちなみに2004年の朝ドラ「天花」では藤澤恵麻がヒロインを務めていたことはご存知だろうか。失礼ながら僕はこの人のことをよく知らない。少し古い作品ということもあるだろうが、天花のひとつ前は「てるてる家族」でヒロインは石原さとみだ。多分こちらは大多数の人が知っているだろう。

朝ドラヒロインとはいえ将来が約束されたものではない。放送終了後の活躍には波がある。

中国のタクシードライバー

上海のタクシー

若い頃仕事の関係で中国(中華人民共和国)に行っていた。1年に2、3回の頻度だったろうか。最初のうちは同じ会社の何人かで行っていたが、そのうち経費削減のあおりをくらい、なぜか当時一番若手だった僕がソロで出張するようになっていた。

中国では漢字で筆談

僕は中国語はもちろん英語も話せない。取引先の会社まで行けば通訳や日本語を話せるスタッフがいたので問題ないが、それ以外の時間は自分でなんとかしなければならない。なので中国出張の際はちっさいメモ帳とペンを常に携帯していた。いざというときに筆談でコミュニケーションを取るためだ。実際たいていのことは漢字を書けば通じた。

その日現地の空港に到着した僕は、客待ちしているタクシーの運転手にホテルの住所と名前を書いたメモを見せながら「OK?」と確認を取ってタクシーに乗り込んだ。40分くらいの距離だったが、中国のタクシー料金は日本と比べると格安なのでよく利用していた。ホテルに到着し予約している旨を伝えチェックインを済ませ、部屋でくつろごうとした時、ちょっとした違和感に気がつく。「ん?メモ帳に書いたホテルの名前と違う」そう、僕が予約したホテルとは全く違うホテルにチェックインしてしまったのだ。どおりでチェックインするときに、フロントのお姉さんが少し怪訝な表情をしていた。
おそらく
「この日本人、予約してるって言ってるけど予約データがないわね」
「まぁ言葉通じないし面倒だし部屋空いてるからそのまま泊めちゃいましょうよ」
「そうね。そうしましょう、アハハ」
こんな感じだろうか。

タクシードライバーの「OK!」は真に受けてはならない

僕の経験だが、中国のタクシードライバーを信用してはいけない。彼らは「行けない・知らない」と言うことを知らない。常に自信満々の笑顔で「OK!」と返してくるだけだ。そのおかげで、高速道路上から流れる景色の中に、目的地を見つけるという苦い経験が何度かある。
今回のドライバーも
「まぁだいたいの住所は合ってるし、ホテルの名前も似てるし、ぎりOKっしょ」
と思ったのだろう。完全にアウトだ。中国のタクシードライバーのOKを真に受けてはならない。

レイバン

間違って泊まったホテルでの続き。翌朝取引先に向かうために、フロントのお姉さんにタクシーを手配してもらうことにした。

僕「タクシー プリーズ OK?」
お姉さん「ユーゴートゥー・・?」
僕「(住所と社名を書いた紙を見せて)ディス!」

これでだいたいは通じる。日本語以外話せない人はぜひ試してほしい。

フロントのお姉さんを経由したのは、安全性を担保したかったからだ。宿泊している外国人がトラブルに巻き込まれるのは面倒だろうし、僕が中国語も英語も話せないことは昨夜からのやりとりで知っている。確実に行き先がわかるドライバーを選んでくれると予想したのだ。しばらくしてお姉さんと一緒にタクシーの運転手らしき人が僕を呼びに来た。色黒で痩せた小柄な男性だが、偽物のレイバン(たぶん)をかけているので年齢はよくわからない。便宜上このドライバーのことを”レイバン”と呼ぶことにする。レイバンは他のドライバーがそうであったように「OK!OK!」と何度も笑顔で繰り返した。さすが選ばれし精鋭だ、表情に迷いがない。これなら目的地まであっといあっとゆう間に着くだろう。

角を曲がるごとに聞き込みを始める

車が動き始めて5分もすると、我々は目的地を見失っていた。レイバンは角を曲がるごとに聞き込みを始めた。しかし有力な情報は得られなかった。

(まずいぞ。こんな奴に身を委ねるなんて)そう思った僕はテレフォンを使った。日本語が通じる取引先に電話をして、レイバンと直接話をしてもらおうと考えたのだ。運よく電話はつながった。僕はレイバンに電話を向けながら「テレフォン、ほらっほらっ」と訴えた。レイバンは電話を受け取ると「你好!○△□〜」とひとしきり話すと僕に電話を返し「OK!」と笑顔を見せた。この笑顔もニセクラだった。

心が通じる瞬間

それからもレイバンは聞き込みを続けた。しかし目的地に近づいている感触は薄い。この瞬間不意に「これ以上コイツに頼っても無理だ」が頭に浮かんだ。同時にレイバンも「コイツからは何の情報も引き出せない」と踏んだに違いない。お互い目があった。それから僕たちは協力体制に入った。お互いに依存するのではなく、お互いのためにそれぞれができることを考えた。言葉は通じないが『心が通じた』瞬間だった。幸い取引先を知っているという通行人に巡り合い、無事到着することができた。タクシーを降りるときに僕は「謝謝!」と右手を差し出した。レイバンも握り返し「OK!」と笑った。このOKは本物だと信じたい。

言葉が通じないのも悪くない

10年以上前の話なので、今だったらスマホの地図を使えば迷うことはないだろう。通訳でさえスマホがやってくれる。便利な世の中になったものだ。しかし経験上、言葉が通じないほど心が通じることがある。言葉が通じない相手と最初に取れるコミュニケーションは「自分が話すことを相手は理解できない」と認識することだ。その瞬間から行動が変わる。

外国語を学ぶことは大切なことだ。だからこそ日本語しか話せない間に海外を経験してほしいと思う。言葉が通じないのも悪くない。

 

若いころ消防団に入っていた

防火訓練

少し前に消防団員による連続放火事件の報道があった。
犯人自らが所属する消防団の管轄での犯行で、そのうち数回は自ら通報したり消火活動に参加したこともあったと言う。これが本当のマッチポンプというのだろうか。いやシャレにならない。

この事件を聞いて、僕が若い頃入っていた消防団時代を思い出した。僕が消防団に入ったのは30代前半の頃だ。きっかけは家を建てその地域に住み始めたこと。「一生暮らしていくんだから地域に馴染みたい」と考えていたところに、地回りの消防スカウトマンがやってきて、すんなりと入団が決まった。ちなみにこれらのスカウトマンは新築物件や集合住宅の新規入居情報にやたら詳しく、勧誘も熱心だ。

消防団とは

馴染みのない方に説明すると、消防団というのは各市町村に設置される消防機関のことだ。消防団に入団する消防団員は、非常勤特別職の地方公務員という身分になるがあまり知られていない。主な活動としては、普段は会社勤めや自営業をしている「普通の人」が、火事や災害等のいざというときに現場に向かい、消防署と連携した消火活動などを行う。よく消防署員と混同されるが全くの別物。あちらは本職で、いわばプロフェッショナル。24時間専業で災害に備えている鍛え上げられた精鋭だ。火災現場の最前線にいる精悍でテキパキした人々が消防職員で、交通規制や火が消えてからの警戒活動をするのが消防団員、そんなイメージだ。

入団すると新入団員訓練がある

消防団に入団すると、まず新入団員訓練というのに参加する事になる。僕の場合は山間の運動場にその年の新入団員が集められ、丸1日訓練を行った。具体的には”基本動作”と呼ばれる行進や敬礼の仕方などがメインで、消火活動に直接関係するようなことはしなかった。地域によっては座学(講和やスライドを見ての学習)もあると聞くが、ひたすら行進や駆け足の行進などを行った。5月にしてはやたら暑く、「はよ終わらんかな〜」と心の中で毒づいていたのを覚えている。周りを見るとまだ20歳前後のヤンチャそうな子も多い。きっと彼らも同じように毒づいていただろう。しかし声や表情に出すことはない。なぜなら指導教官は”本職”の現役消防署員で精悍なゴリラのような厳つい面々だったからだ。少しでも悪態をつけば堅気相手でも容赦はないだろう。一般市民の消防団員とはいえ緊張感ある訓練だ。

普段は何をしているのか

消防団の人は普段どんな活動をしているのか?
僕のイメージは「定期的に飲み会をする」「たまに地域のイベントで放水する」「定期的に飲み会をする」・・そんなイメージだった。実際に入団してみるとほぼそのイメージ通りだった。月に一回「定例会」と称した集まりがあり、表向きは連絡事項と団員同士の親交を図るという目的だというが、実態は飲み会だった。勤め人もいるので夜の7時30分に定例会は始まる。詰所と呼ばれる消防車の車庫件事務所みたいなスペースで、連絡事項(約5分)が終わると後はひたすら飲み食いを続ける。食事や酒の手配は「会計」と呼ばれる役職の人が担当した。この会計役の人は、団のお金の管理をしていて、時には数百万円くらい扱うこともある。横領する人とかいないのか不思議だったが、あまりその手のニュースは聞いたことがない。おそらく組織内で揉み消しているのだろう。

定例会以外では、年に1回ある出初式と年末の夜警(火の用心ってやつね)が必ず行われる年間行事だ。あとは何年かに1回「消火器の詰め替え」といって各家庭から集めた消化器の中身を詰め替える作業や、消火栓の塗り直し、操法大会の練習などがあった。

火事は減っている

では火災の時は何をするかというと、基本は消防署員のサポートだ。現実的には野次馬整理的な作業が多かった。また、火が消えた後にぶり返さないように見張り続ける警戒活動もすることがある。地元の消防団なので、火災現場に一番最初に到着することが多いが、火災の状況によっては現場から少し離れたところで待機した方が良いこともある。以前田舎の狭い住宅街の現場で、一番先頭に陣取っていた消防団の消防車が「さっさとどけろ!」と本職の人に怒られているのを見たことがある。

しかし前提としてそもそも火事は少ない。消防が公表している資料でも平成20年以降火災件数は減少傾向だ。このことは僕が入団した時にも先輩から教わった。「最近は巻きで風呂を焚いたり調理をする家が減ったからのう」とその理由を先輩は教えてくれたが、実際は喫煙者が減ったことや火災報知器設置が進んだことが理由のようだ。先輩はいつの時代の話をしていたのだろうか。

入団して良かったこと

「集まっては飲み会ばかり」「火災現場で役に立ってんの?」など色々言われる(個人の感想)消防団だが、僕が入団して良かったと思うのは地域との繋がりができることだ。特によその土地から移り住んできた人にとっては、よそ者が仲間になれる絶好のチャンス。時には煩わしさを感じることもあるが、これから家を建てたり、UターンIターンで移住する人にぜひおすすめしたい。

※この記事の内容は僕の体験談で、地域や時期によっては異なることがあります。

親会社の女性社長が20代だった

デキる女性社長

全国に女性の社長は50万人以上いるらしい。割合で言うと全社長の14%ほどが女性ということになる。(東京商工リサーチ調べ:2021年)
家業を継いだり起業したりする人も含まれるので、自分の周りを見渡してもひとりくらいは女性経営者が思い浮かぶ。

視察に来る親会社の社長

この話は、僕が以前勤めていた会社の話だ。
その会社は元々オーナー企業だが、M&Aである企業の傘下となった。僕のような下々の者には、親会社の詳細は明らかにされていなかったので、さして親会社に興味はなく、実際業務にも影響はなかった。

ある朝の朝礼で、「親会社から社長がやってくるので、各部署5Sを徹底しておくように」という連絡があった。1ヶ月ほど滞在するらしい。この時点でもそれほど関心はなく「どうせ子会社の社員が真面目に働いているか目を光らせにくるんでしょ」くらいの気持ちだっった。
これまでにも何人ものコンサルの先生が入れ替わり立ち替わりやってきては、匙を投げるようにぱったり来なくなったということが何度もあった。同じ状況ではないが、近い感情を抱いていた。

社長は20代の女性だった

そして親会社の社長がやってきた。女性だ。しかも20代の。(以下Y社長)
僕はこの日の出来事に少なからず衝撃を受けた。なぜなら勤めていた会社はゴリゴリの年功序列型で、上司=年上が当たり前の昭和企業だったからである。
かいがいしくY社長をアテンドする60代の社長。ひれ伏す50代以上の役員たち。目の前で起こっている何もかもが未曾有の出来事だった。

そしてY社長の物腰柔らかで合理的な人柄がさらにこの出来事を際立たせた。それまでパワハラモラハラで社内のヒエラルキーを維持してきた組織で育った僕たちは、「解放」されたような錯覚に陥ったものだ。

やさぐれ始める役員達

Y社長は滞在した1ヶ月で、それまでのスタンダードを大きく変えようとした。会議の進め方や上司から部下への接し方など、かなりのスピード感で変化していく実感があった。
僕たち下々の社員はY社長のやり方を歓迎した。これでメンタルの不調で長期間休職する社員のしわ寄せをくわなくて済む、負担が減る!と心底よろこんだ。

しかしその反面、役員達は徐々にやさぐれ始めた。
これまでルールは”自分”であり、最終的な意思決定の方法は”恫喝”だった。そんなやり方しか知らない昭和・バブル世代のおじさん達が、自分の娘くらいの上司に諭されるのだ。やさぐれるのも無理はないだろう。
そのせいでストレスが溜まるのか、喫煙スペースに占める役員の割合と滞在時間が右肩上がりになった。どの役員もタバコを燻らせながらスマホを見る目がキマっている。転職サイトでも見ていたのだろうか。

新たなる刺客

Y社長が帰ってからも、社内の改革は続いた。パワハラモラハラはゼロにはならなかったが、いざと言う時に駆け込める寺があるのは、精神的な安全につながる。
以前の体制なら、平社員が社長にメールで直訴したら直属の上司に呼び出しをくらい怒られたものだが、そんなことも無くなった。

しかし会議で使う資料は、最後まで「紙」を主張する古株役員によってオールドスタイルが継承された。1回の会議でA3用紙120枚。アホらしい。
ちなみにこの役員は、パソコン・スマホ持ち込み禁止の会議を企画した張本人で、決め台詞は「コンピューターに頼るな、勘ピューターを使え!」だった。2回目の会議で自らパソコンを持ち込みこの企画は終了した。

そして時は過ぎ、親会社から新しく社長が送り込まれることが決まった。今度は平成生まれの20代。
さすがに役員達のメンタルヘルスが心配だ。

 

 

我が家の支出を『見える化』してみたら

家計簿をつけて悩む女性



家計がピンチらしい。

わが家では金銭管理を全て妻に任せている。結婚以来25年以上ずっとだ。妻はもともと金融関係で働いていたことがあり、金銭管理はもちろん金融商品や資産運用についての知識もある。なので、僕はこの家にどのくらい貯金があって収支の状況がどうなっているのかということを、なんとなく程度しか知らない。
得意な人に任せた方が上手くいくし、何より楽だからだ。

これから5年間が「お金が必要」

妻曰く、これからの人生プランを考えた時に今年から約5年間が勝負どころ、つまり「お金が必要」な時期なのだそうだ。理由は子供の進学だ。

今現在4年制の大学に通っている息子に加え、来年からは娘も進学を希望している。息子は地方国立大学だが、ありがたいことに『高等教育の修学支援新制度』(授業料・入学金の免除・減額+給付奨学金の支給)の恩恵を受けなんとか卒業までの道筋は見えている(4年で卒業できればの話だが)。この制度は2020年から新しく始まった制度だが、返済不要の給付型奨学金というところが非常に助かる。本人の学力や家計の収支など条件はあるが、恩恵を享受できる人は多いと思うのでぜひお勧めしたい。

話を戻すが、娘の方は首都圏の私立大学を志望している。わが家の家計のことを考えるととてもそんな余裕などない。
そもそもわが家では、子供達が小さい頃から「大学に進学するなら国公立だけ」と呪文のように刷り込みをしてきた。本人が希望するなら高校を卒業して就職するのもアリ、むしろそうして欲しいと強請っていたくらいだ。

しかし娘はどうしてもそこの大学に行きたいらしい。親としては悩ましいところだが、毎晩遅くまで勉強している娘の姿を見ると応援せざるを得ないだろう。家族で話しあった結果、条件付きでOKを出すことにした。

手始めに支出状況を『見える化

わが家の家計

わが家の家計状況

そんな背景もあり、僕たちの人生設計を見直すことになった。手始めに収支状況の見える化だ。わが家の金庫番である妻に手伝ってもらって、1ヶ月の支出状況を詳細に洗い出し円グラフにしてみた。
月々のコストを重箱のすみレベルで洗い出し、問題点(どこが削れるか)を見つけ出す。前職では毎月末にやってたなあコレ。

グラフで『見える化』して俯瞰すると、食費が一番多いということに驚く。わが家の場合で言えば住宅ローンよりも多いのだ。別に特別贅沢をしているということもなく、食材は業務スーパー、ビールではなく発泡酒、コロナ禍のため外食もほぼしていない。そんな慎ましい暮らしをしていても、支出の4分の1近くを食費が占めているのだ。

エンゲル係数の平均は25%〜28%

この表には住宅ローンも含まれているので、エンゲル係数とは言えない(エンゲル係数はローンや税金などを除いた消費支出がベース)が、日本のエンゲル係数の平均は25%〜28%程度だという(諸説あり)

一般的な話だが、エンゲル係数が高いほど低所得という傾向があるらしい。低所得層ほど食費以外の出費を節約しているが、食費は削減に限界があるため相対的に割合が上がるということだ。逆に高所得世帯は食費にもお金を使うが、それ以外の支出(ムダ使いとか)が多く、食費の割合が低くなるそうだ。

それにしても自分で作っておきながらこの資料何か違和感が・・・

僕「支出の明細これで全部?」
妻「税金関係なんかで年に1回とかの支払いは入れてない」

う〜ん。意思決定するための資料は正確でなければならない。もう一度事実を積み上げよう。
これも前職の教えだ。