そして下僕は途方に暮れる

感じるな、考えろ。

梅の花と梅ヶ枝もち

ほころび始めた梅の花

我が家の裏庭には梅の木がある。実家の駐車場を増設するときに邪魔になり、ウチにやって来た木で、僕が子供の頃には既にあった気がするので、かれこれ40年くらいは経っている古株だ。

今年もその古株から梅の花がほころび始めた。まだ1分咲きにも満たないくらいだが、あちこちで出番を待っている蕾の膨らみを見ると、あと2週間もすればパッと白い花でいっぱいになるだろう。桜のような華やかさはないが、自宅から眺める満開の梅を見るのを毎年楽しみにしている。

梅といえば、太宰府天満宮を思い出す。太宰府天満宮は「学問の神様」であると同時に、日本有数の梅の名所だ。菅原道真公を慕って、京都から太宰府に一晩で飛んできたという御神木『飛梅』もある。

しかし僕にとって太宰府天満宮の梅といえば「梅ヶ枝もち」だ。梅が枝もちとは、太宰府天満宮の参道で売られている、あんこの入った餅を焼いたものだ。もちといっても正月に食べるようなみょーんと伸びる餅ではなく、米粉を水で溶いた生地がベースなので、あんこの入った団子を焼いているイメージだ。

梅ヶ枝もちを焼いているところ

天神サイトより

僕が学生時代に半年ほど梅ヶ枝もちを焼くバイトをしていたことがある。太宰府天満宮に行ったことがある人ならわかると思うが、参道の両脇には多数のお土産物屋があり、その店先では梅ヶ枝もちをオープンキッチン?で焼いていて、タイミングが良ければ焼き立てを食べることができる。
焼いている人は専門の焼き器を使って、ガッチャンガッチャンと焼き具合を確認しながら忙しなく餅を焼いている。流れるような動作で、熟練の職人芸のように見えるが、僕がバイトしていた頃は同じようにバイトの焼き職人は周りに結構いた。

最初はコツが掴めずよく失敗していたものだが、1ヶ月もすると随分と焼く姿も堂々としたものになっていた。うまく皮がパリッとして焼き色がうっすらつくくらいの出来上がりが僕にとっての最高ランクだった。
そんな上物ができた時は、バイトながら誇らしい気分になったものだ。それ以来僕は梅ヶ枝もちの味だけではなくビジュアルにも強いこだわりを持っている。

先日ふと思い出したように梅ヶ枝もちが食べたくなり、家で作ってみた。といっても材料は家にあるもの(上新粉つぶあん)を使い、焼き器などないのでフライパンで表裏を焼いただけだ。遠い昔の記憶をたぐり寄せ、パクりとひと口。(うん こんな感じ。だったっけ?・・)近くなく遠くもなくの出来だったが、平成初期の若かりし記憶が思い出された。

ちなみに家族からは不評だった。何歳になっても修行の日々だ。